数珠巡礼

メニュ

禅定寺Zenjyo-ji Temple

 

 

正しくは、白華補陀落山観音妙智院禅定寺(びゃくげほだらくさんかんのんみょうちいんぜんじょうじ)と称します。 平安時代中期の正暦二年(991年)に東大寺五十三代別当であった平崇上人により創建されました。 もとは、天台宗でしたが、現在は禅宗の曹洞宗で、福井県の永平寺と神奈川県の總持寺を両大本山とする日本仏教宗派最大教団に属する寺院で、曹洞宗中興月舟宗胡禅師終焉の地でもあります。
山城の国随一の観音、十一面観音立像(重文)や日光・月光菩薩立像など多くの尊像をお祀りしている千年の歴史をもつ古刹です。

当寺院のさげわたし数珠玉

寺宝・名所

  • 十一面観音立像(本尊)

    寄木造漆箔 像高286cm 藤原時代初期(10世紀末) 国重要文化財

  • 日光菩薩立像

    一木造彩色 像高203cm 本尊とほぼ同時期 国重要文化財 日光・月光菩薩は、禅定寺を再興した月舟禅師により、相楽郡山城町に存在した光明山寺から移されたとする説がある。

  • 月光菩薩立像

    一木造彩色 像高208cm 本尊とほぼ同時期 国重要文化財 日光・月光菩薩は、禅定寺を再興した月舟禅師により、相楽郡山城町に存在した光明山寺から移されたとする説がある。

  • 本堂

    江戸期 府指定有形文化財指定(平成二十六年) 萱葺き屋根は、四年間をかけて平成十八年九月に修復

沿革

 

禅定寺の創建は、寺伝によれば、東大寺の別当であった平崇上人が正暦二年(991年)に私領の山野を卜定して、堂を建て、十一面観音像を安置したのに始まり、造営に五年の歳月を費やしたと云われます。
開山の平崇上人は長保四年(1002年)に七十七歳で示寂されますが、その遺骸は当寺の後山に葬ったと伝わります(現在、裏山に開山および歴代上人の供養塔あり)。
延宝八年(1680年)には加賀国大乗寺の月舟宗胡禅師を迎えます。月舟禅師は再興に大いに努力し、とくに師に深く帰依していた加賀藩の家老・本多安房守政長の経済的援助を得て、下司職以下の村民の山林寄進などの協力のもと、諸堂を建立し、旧観に復することに成功した。 その意味では月舟禅師こそ禅定寺中興の祖と仰がれる人で、平等院末寺天台宗から禅宗(曹洞宗)に改宗されたのもこの十七世紀の終りからである。
因みに、ときの霊元天皇は当山へ行幸され、勅額を下賜されました。
禅定寺は、もと七堂が完備していたと伝えられるが、その伽藍配置などについては詳らかでない。 しかし、創建当初よりの本尊と考えられる十一面観音像を安置した本堂(五間四面)をはじめ、三昧堂、毘沙門堂、湯屋一宇などの諸堂が、鎌倉時代末期頃に存在したことは確実である。 因みに、現在の諸堂は月舟禅師のときのものである。

拝観のご案内

現在の情報

拝観休止日
なし
拝観時間
9:00~16:00
拝観料
本堂・宝物殿 500円
ご連絡先
電話番号 / FAX
TEL 0774-88-4450/FAX 0774-88-4415
URL
http://zenjyoji.jp/index.html

行事案内

現在の情報

禅定寺 年間行事予定

行事内容
1月1~3日大般若祈祷会
18日初観音
2月節分~18日星祭
3月18日春彼岸 開山忌 転読大般若会
8月18日山門大施食会
12月18日納め観音(受験祈願受付)
毎月13・18・24・25日家内安全・厄難消除、学業成就 祈祷

交通案内

名称
禅定寺
所在地
京都府綴喜郡宇治田原町大字禅定寺小字庄地100
交通アクセス
公共交通をご利用の方

JR奈良線宇治駅、京阪電鉄宇治駅、近鉄新田辺駅より
京阪宇治バスの維中前行き、工業団地行き、緑苑坂行きを利用して維中前で下車し、徒歩で約2km

各駅前よりタクシーで禅定寺まで 10km

お車をご利用の方

名古屋方面より、
京滋バイパス南郷IC より7km

京都方面より、
京滋バイパス笠取ICより 9km

駐車場
あり。(府道783号沿い:バス専用、仁王門下:普通車等) 無料

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