数珠巡礼

メニュ

神宮寺Jingu-ji Temple

 

若狭一の宮の神願寺として成立、縁起によれば元正天皇の勅命により和銅7年(714)泰澄大師の弟子である沙門滑元の創建と伝えられる天台宗の古刹です。
毎年3月2日に行われる、奈良・東大寺二月堂への「お水送り」神事が有名。

当寺院のさげわたし数珠玉

寺宝・名所

  • 本堂

    本堂は、天文22年(1553)に朝倉義景によって再興された。正面5間(14.36m)、側面6間(16.61m)、入母屋造檜皮葺の建物で、向拝柱を角とし、ほかはすべて円柱とする。3間×1間の仏壇の前に3間×2間の内陣を設け、この前に3間×1間の礼堂を付し、四周に1間の庇を廻らす。構造は和様で、長押を用いて軸部を固め、軒支輪を持つ出組斗栱で二軒繁垂木の軒を支える。中備は正面を本蟇股とするほかは撥束とする。正面には蔀戸を入れ、側面第1間に幣軸板扉、背面中央を板扉とする等、比較的古い形式がみられる。一方で、細部には各所に彫物がみられる。 重要文化財。

  • 仁王門

    仁王門は、寺の北門にあたるもので、三間一戸八脚門形式の切妻造杮葺である。両脇には金剛力士像を安置することからこの名で呼ばれている。束や頭貫鼻の繰形等の様式から、鎌倉時代の建立と考えられる。全体に簡素ではあるが、各所に時代を反映した様式のみられる建物である。重要文化財。

  • 男神坐像・女神坐像

    本像は、若狭一の宮である若狭彦神社の別当寺である神願寺の奥の院に伝えられた神像である。男神像は巾子冠を戴き袍に袴を着け、腹前で笏を持って足を組む姿で現わされている。女神像は左右後ろに髪を振り分けて垂らし、正面を向いて正座風に坐す。両手は袖の中に隠して膝上に置く姿で現わされている。両像とも写実的な像である。制作は鎌倉時代。像高は男神坐像が49.1cm、女神坐像が50.9cm。重要文化財。

沿革

 

若狭の小浜にある神宮寺は元明天皇の和銅7年の創建とされ、寺伝によると遠敷明神(若狭彦命)の直孫和朝赤麿公が 金鈴を長尾明神と祀り鈴応山神願寺を創建しました。翌年勅願寺となったことに始まるといわれており、さらに、若狭彦姫神 を根来白石より迎え神仏両道の寺としました。鎌倉時代に神願寺は遠敷明神上社(若狭彦)と遠敷明神下社(若狭姫)の 別当寺となり、神宮寺と改称したとされています。
根来白石の神童が長じて東大寺開山堂の良弁僧正になった繋がりから、奈良二月堂のお水取り行法の水は若狭井(東大寺)の水が 使われており、この水は神宮寺の閼伽井戸(あかいど)の水を3月2日に遠敷川(おにゅうかわ)の鵜之瀬へ流すこと(水送り)で 3月12日に到達するといわれています。
明治4年の国家神道により若狭彦神社は国幣社となり、境内にあった遠敷明神社は神仏分離令により取り壊されます。しかし、 現在の本堂の内陣には、中央正面と左側は須弥檀になり薬師如来を本尊として仏像が並んでおり、右側は壁面で、 この壁面は勧請座(影向座)といわれ神号掛軸3福が掛かっています。神仏分離令をいかにして潜り抜けたのでしょうか。
この本堂は重要文化財で、天文22年に朝倉義景が再興したといわれている室町時代の堂々たる大建築で、和様を主体に 木鼻に天竺様繰形、唐様束梁などの珍しい技法を用いています。 本堂内で二拍一礼でお参りするのは、当寺だけとのこと。本堂入口には”しめ縄”が張ってあります。

拝観のご案内

現在の情報

公開期間
無休
拝観休止日
お水送り準備のため2月15日から3月1日まで拝観休止
拝観時間
9:00~16:00
拝観料
400円
ご連絡先
電話番号 / FAX
TEL 0770-56-1911

交通案内

名称
霊應山 神宮寺
所在地
福井県小浜市神宮寺30-4
交通アクセス
公共交通機関をご利用の方

JR小浜線東小浜駅からタクシーで7分

お車をご利用の方

舞鶴若狭自動車道 小浜ICから車で12分

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