数珠巡礼

メニュ

神護寺Jingo-ji Temple

 

和気清麻呂が、天応元年(781)、国家安泰を祈願した神願寺と私寺として高雄山寺を建立したことに始まる。やがて神願寺と高雄山寺を合併し、寺名を神護国祚真言寺(略して神護寺)と改め、一切を空海に付属し、それ以後真言宗として今日に伝えている。

当寺院のさげわたし数珠玉

寺宝・名所

  • 薬師如来立像

    金堂に安置される本尊は薬師三尊である。  鎌倉時代の末に編纂された『神護寺略記』に引用されている『弘仁資財帳』に「薬師仏像一躯 脇士菩薩像二躯」とあるのがこの三尊に当たると思われる。  資財帳とは、定額寺で作ることを義務付けられていたもので、弘仁年間の資財帳とは当時定額寺であった神願寺のものであり、この像が神願寺から高雄山寺に移されたと考えられてきた。  近年、この本尊を高雄山寺に由来するとする説が出され、その結論はまだ定まっていない。  新説では、弘仁年間は資財帳の提出の義務付けが停止された時期であること、資財帳の作成は定額寺のみに限られたものでないこと、神願寺が寺域としてふさわしくない場所にあったとされる像を、あえて清らかな場所、高雄山寺の本尊に移すといった考え方は、当時の穢れに対する対処法として疑問があることが提起された。  見据えるような鋭いまなざし、太い鼻筋と肉付きよい小鼻、思い切って突き出しへの字に引き締めた唇。拝するものに畏怖の念を起こさせるこのような異相は禁欲的な山岳修行者の存在が生み出したものかもしれない。  唐招提寺薬師如来像とくらべて胸と腹が小さく、腰以下が強調されて圧倒的な重量感を印象付ける。  木という硬くまた粘りのある材質を鋭利な刃物で彫ることによる木彫ならではの鋭い表現が生まれてきている。

  • 灌頂暦名

    空海が密教の入門儀式である結縁灌頂を行った手控えで、弘仁三年(812)十一月、十二月、翌年三月の三回分の記録。  結縁者の筆頭に最澄の名が記されているのも印象的である。  また、最澄、空海が決別する原因のひとつとなった泰範の名が記されているのも興味深い。  わが国宗教史の上で重要な古記録であるとともに、心覚えのために書き流した書であるため、空海の自由闊達な書風を知ることができる貴重な資料ともなっている。  灌頂暦名はその後、天仁元年(1108)、白河院の御所のおまもりに取り上げられた。  そして鳥羽離宮内の勝光明院宝蔵に収められていたが、徳治三年(1308)に後宇多法皇によって神護寺に返還された。  このことは、それに付属する後宇多法皇の施入状によって明らかである。

  • 板彫弘法大師像

    弘法大師空海がお住まいになられた納涼房に由来する現在の大師堂の本尊として祀られる。  神護寺に御入山された性仁法親王がご自坊として翫玉院(がんぎょくいん)を造営され、正安四年(1302)、仏師定喜(じょうき)に土佐国金剛頂寺の空海像を模刻させ同院に安置されたと伝えられる。  現在の金剛頂寺には、神護寺の空海像とは異なり斜め右向きに床座に坐する形式のもので、制作年代も神護寺像の25年後の嘉暦二年(1327)である。したがって金剛頂寺には神護寺像の手本になった別の空海像があったと考えれるが、その所在はわからない。  神護寺像の作風は、快慶のつくる地蔵菩薩像のお顔のようなみずみずしい張りがあり、右手の三鈷杵や左手の数珠の表現も優れている。

  • 宝物虫払い行事

    5月1日~5月5日(9:00~16:00) 神護寺書院にて、国宝 源頼朝像、平重盛像、釈迦如来像、潅頂暦名ほか神護寺所蔵の名宝を公開展示します。 拝観料 1,000円

お知らせ

沿革

 

平安遷都の提唱者であり、また新都市造営の推進者として知られる和気清麻呂は、天応元年(781)、国家安泰を祈願し河内に神願寺を、またほぼ同じ時期に、山城に私寺として高雄山寺を建立している。
神願寺が実際どこにあったのか、確かな資料が残っていないため、いまだ確認されていないが、その発願は和気清麻呂がかねて宇佐八幡大神の神託を請うた時「一切経を写し、仏像を作り、最勝王経を読誦して一伽藍を建て,万代安寧を祈願せよ」というお告げを受け,その心願を成就するためと伝えられ、寺名もそこに由来している。
また、私寺として建てられた高雄山寺は、海抜900メートル以上の愛宕五寺のひとつといわれているところからすれば、単なる和気氏の菩提寺というよりは、それまでの奈良の都市仏教に飽きたらない山岳修行を志す僧たちの道場として建てられたと考えられる。
愛宕五寺または愛宕五坊と呼ばれる寺は白雲寺、月輪寺、日輪寺、伝法寺、高雄山寺であるが、残念ながら現在にその名をとどめているのは高雄山寺改め神護寺と月輪寺のみである。
その後、清麻呂が没すると、高雄山寺の境内に清麻呂の墓が祀られ、和気氏の菩提寺としての性格を強めることになるが、清麻呂の子息(弘世、真綱、仲世)は亡父の遺志を継ぎ、最澄、空海を相次いで高雄山寺に招き仏教界に新風を吹き込んでいる。
弘世、真綱の兄弟は、比叡山中にこもって修行を続けていた最澄に、高雄山寺での法華経の講演を依頼している。
この平安仏教の第一声ともいうべき講演が終わると、最澄は還学生として唐にわたることとなる。
また、空海は留学生として最澄とともに入唐するが、二年で帰国、三年後にようやく京都に入ることが許されるや高雄山寺に招かれ、以後数年にわたる親交が続けられ、天台と真言の交流へと進展してゆく。
やがて天長元年(824)真綱、仲世の要請により神願寺と高雄山寺を合併し、寺名を神護国祚真言寺(略して神護寺)と改め、一切を空海に付嘱し、それ以後真言宗として今日に伝えている。
神護寺は最澄、空海の活躍によって根本道場としての内容を築いていったが、正暦五年(994)と久安五年(1149)の二度の火災にあい,鳥羽法皇の怒りに触れて全山壊滅の状態となった。
わずかに本尊薬師如来を風雨にさらしながら残すのみであった惨状を見た文覚は、生涯の悲願として神護寺再興を決意するが、その達成への道はとても厳しかった。
上覚や明恵といった徳の高い弟子に恵まれ元以上の規模に復興された。
その後も天文年中の兵火や明治初年の廃仏毀釈の弾圧にも消えることなく法灯を護持している。

拝観のご案内

現在の情報

公開期間
年中無休
拝観休止日
なし。
拝観時間
9:00~16:00
拝観料
拝観料金 600円 (中学生以上。小学生300円) 
ご連絡先
電話番号 / FAX
TEL 075-861-1769 / FAX 075-862-0354
URL
http://www.jingoji.or.jp/

行事案内

現在の情報

高雄山 神護寺 年中行事予定

日時行事内容場所
1月1日新年法要金堂
1月第2日曜日初大護摩供明王堂
1月8日本尊供 金堂
1月21日御影供大師堂
2月15日 涅槃会金堂
3月21日彼岸会金堂
4月8日仏生会金堂
5月1日~5日寺宝虫払行事書院
5月4日和気公祭典霊廟
5月13日~15日五大虚空蔵菩薩像御開帳多宝塔
6月15日降誕会大師堂
7月21日文覚上人忌墓前
8月15日孟蘭盆会金堂
9月18日性仁親王忌墓前
9月23日彼岸会 金堂
10月(第2月・祝)を含む三連休五大虚空蔵菩薩像御開帳多宝塔
11月1日~7日板彫弘法大師御開帳大師堂
11月4日和気公祭典金堂

交通案内

名称
高雄山 神護寺
所在地
〒616-8292 京都市右京区梅ヶ畑高雄町5番地
交通アクセス
お車をご利用の場合

国道162号線を、「福王子」交差点から「京北 高雄」方向へ約6k

公共交通機関をご利用の場合

・JR京都駅、地下鉄烏丸線京都駅からJRバス「高雄・京北線」で約50分、「山城高雄」下車、徒歩約20分
・阪急京都線烏丸駅、地下鉄烏丸線四条駅から市バス8号系統で約45分、「高雄」下車、徒歩約20分

※渋滞等で所要時間が長くなることがあります。ご注意ください。

駐車場
なし。

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