数珠巡礼

メニュ

清浄華院Shojyokein

 

清浄華院(しょうじょうけいん)は、浄土宗八総大本山の1つ、京都四箇本山の一つであります。清浄華院という名前は「浄土に咲く蓮の華のように、清らかな修行ができる場所」という願いを込めて名づけられました。
一般には縮めて浄華院(じょうけいん)と呼ばれており、法然上人25霊場の23番霊場にもなっています。

当寺院のさげわたし数珠玉

寺宝・名所

  • 大殿(御影堂)

    清浄華院の本堂とも言えるお堂です。境内で一番大きな建物なので「大殿」、法然上人の御影(みえい)をお祀りしているので御影堂とも呼ばれています。  内陣中央に祀られている法然上人像は、上人が後白河法皇より当院を賜った42歳の時のお姿を自ら刻まれたものと伝えられています。  上人の肖像はお年を召した頃のものが多いのですが、当院の上人像は壮年期のお姿ということで、若々しい精悍なお顔立ちをしておられます。  42歳は男の本厄ですので江戸時代には「厄除圓光大師」としても厚い信仰を受けていました。  江戸時代には西向きの建物でした。度重なる大火に何度も類焼していますが、そのたびに御所の建物の下賜を受けて再建しています。  現在の建物は明治22年の火災焼失後に再建されたもので、明治42年に竣工、明治44年(法然上人700年大遠忌)に落慶したもの。この際に南向きとなりました。  当院の皇室帰依の由緒を反映して、皇室御用の木曾御用林の木材を使用して建てられています。  内陣の東壇には尊牌壇があり、ゆかりある天皇・皇族の方々のお位牌を安置しています。また建物西側には勅使や皇族の方々をお迎えするための玄関が付属しています。建物の各所には皇室ゆかりの菊花紋があしらわれ、皇室ゆかりの寺院としての格式を残しています。  西壇には当院の霊験本尊「泣不動尊」がお祀りされています。自ら身替わりとなり師匠の命を助けようとした弟子を、感動の涙を流して救ったという不動尊の絵像で、本来秘仏でした。平成26年のご開帳法要を受け、現在は常時開帳しており親しくお参りする事ができます。  左右には金比羅権現・秋葉権現・陀枳尼天・弁財天の四神像が祀られています。金比羅権現・秋葉権現は江戸時代後期(文政年間)の造立ながら非常に力強く整ったお姿をしています。この二体は天命の大火後の文政期に不動講が寄進した物で火事除けの神として祀られたものと考えられています。陀枳尼天像はおそらく松林院の鎮守社・稲荷社の神体だったと見られ、弁財天も由緒不詳ながら芸能・学芸・商売の神として知られています。この四神はもともと旧不動堂の安置仏であったもので、元の配置を再現したものとなりました。  お前立ちとして不動三尊像もお祀りされています。

  • 御廟

    境内東の墓域にあるお堂で、法然上人をお祀りする石塔を納めています。石塔は無縫塔と呼ばれる形式のもので、厨子の中に納められて安置されています。   法然上人の廟所といえば、知恩院の御廟がよく知られていますが、京都の浄土宗四箇本山にはみな法然上人の御廟が存在しています。  清浄華院の御廟の存在は江戸時代以降からしか確認できませんが、室町時代に記された宝物目録には、法然上人の遺骨の存在がすでに記されています。清浄華院でもいつの頃からか御分骨をお祀りしてきたようです。  御忌などの大きな法要の際や毎月25日には扉が開けられ、礼拝することになっています。 

  • 紙本著色『泣不動縁起』絵巻

    師匠の病の身代わりとなった弟子を助け、その利益の証として仏画の姿に涙の跡があったという「泣不動」の説話を描いた絵巻物。  この説話は中世大変有名であったようで、さまざまな説話集などに登場し、絵巻としても描かれました。泣不動縁起絵巻には鎌倉時代の東京国立博物館本、南北朝時代の逸翁美術館本、室町時代の奈良国立博物館本などの数本が現存し、数多く制作されたことが推測されます。清浄華院本も色彩鮮やかな室町時代の作品として、重要文化財に指定されています。  説話に登場する不動尊の仏画(泣不動尊像)が本山に所蔵されているために寄進されたもので、江戸時代初期は狩野永納珍蔵の品でした。初めは後水尾天皇の命で制作された模写本が霊元天皇の時代に本山に寄進され、その後重文本も入江孝治なる人物(未詳)より寄進されることになりました。本山の秘仏・泣不動尊像の縁起を語る絵巻物として什宝の随一となっています。  また、陰陽師・安倍晴明の活躍を描く絵巻物としてもよく知られています。重要文化財。 ※普段は国立博物館に寄託しており、拝観は出来ません。

沿革

 

その歴史は古く、平安時代までさかのぼることができます。貞観2年(860)、時の天皇である清和天皇の勅願により、天台宗の慈覚大師円仁が”宮中(天皇の住まい)”に禁裏内道場として建立したのが始まりです。
当時は円(円教、天台のこと)・密(密教)・戒(円頓戒)・浄(浄土教)の四つの学問を学ぶ四宗兼学の道場であり、かつまた国家泰平と天皇陛下のご健康を祈る鎮護国家の道場でもありました。
やがて平安時代も終わろうとする承安5年(1175)、浄土宗の開祖である法然上人は長年にわたるご研鑚の地、比叡山を去って東山吉水の地に草庵を結ばれ、念仏を称えることこそ唯一の救いの道であると説かれます。
当時の仏教界に新風を吹き込んだ法然上人の教えは、道俗・身分を問わず潮のように広まっていき、その教えに触れようと、後白河法皇は法然上人を宮中に呼び寄せ教えを請い、高倉天皇後鳥羽上皇とともに上人を戒師として円頓戒のご受戒も受けられました。
後白河天皇は法然上人の教えに大変感動され、参内の宿舎とされていた当院を法然上人に賜りました。
これによって清浄華院は浄土宗に改められ、以後念仏道場としての道を歩むことになったのです。
このため清浄華院では慈覚大師を創立開山法然上人を改宗開山として仰いでおります。宮中の禁裏内道場として発足した清浄華院。千百有余年の間、常に京の中心・御所の近くにあり続け、皇室と京の人々とともに歩んできました。現在地に移転してきたのは豊臣秀吉の時代、天正年間(1573~1592)になります。
京の町は数々の動乱や災害に幾度も巻き込まれ、歴史ある寺院の多くも郊外に転出してしまいます。そうした寺院は郊外に広い境内を構えていますが、清浄華院は常に京の町中にあり続けました。
清浄華院の境内・伽藍はけっして大きいとはいえません。しかしそれは常に京の町の人々に寄り添い続けた、清浄華院の長い歴史を証明しているともいえるのです。

拝観のご案内

現在の情報

公開期間
無休
拝観休止日
なし
拝観時間
9:30~16:30
ご連絡先
電話番号 / FAX
075-231-2550
URL
http://jozan.jp/index.php

行事案内

現在の情報

年間行事

1月1日修正会(大晦日 歳末回向・除夜の鐘に引き続き)
1月7日御忌定式・互礼式
2月3日涅槃会・浄山不動講節分大祭・浄焚式
3月下旬春季彼岸会
3月28日鎮守小社 浄花稲荷社祭
4月20日慈覚大師忌
4月21日~23日法然上人御忌大会
4月下旬畳供養法要
5月浄山カウンセリング研究会総会
5月28日総鎮守社 山王権現社例祭 山王神事
7月2日向阿忌
8月16日盆施餓鬼・献灯回向法要
8月28日染殿地蔵尊大祭
9月下旬秋季彼岸会
9月下旬24時間不断念仏会(最終土日)※変更有り
10月中旬骨仏・永代祠堂法要
10月下旬~11月初旬秋の特別拝観(京都古文化保存協会秋の非公開文化財特別拝観)※変更有り
11月28日鎮守社 御火焚祭
12月23日法然上人御身拭式
12月26~28日浄山不動講八千枚護摩供
12月31日歳末回向・除夜の鐘
毎月28日不動講護摩供養会 15時~ ※ただし8月は休み(地蔵盆のため)
随時お寺で仏像彫刻教室(月二回)

交通案内

名称
清浄華院
所在地
〒602-0852 京都市上京区寺町通広小路上ル北之辺町395
交通アクセス
公共交通機関をご利用の方

JR「京都駅(烏丸口)」から市バス(所要約30分)
4、17、205系統 →「府立医大病院前」にて下車

阪急電鉄「河原町駅」から市バス(所要20分)
3、4、17、205系統 →「府立医大病院前」にて下車

京阪電鉄「三条京阪駅」から市バス(所要20分)
37、59系統 →「府立医大病院前」にて下車
または

・京都バス21,23,41,43系統 →
「府立医大病院前」にて下車

※バス停「河原町今出川」(図中③)で下車、河原町通りを南下でも10分ほどで着きます。

駐車場
なし

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